昭和48年6月17日 特別奉修委員
今信心をせよと教えて下さる。大きな信心といろいろに説かれるんですけど。言うなら天下国家の事を祈ると。いうような大きな願いに立つと言う事だけが大きな信心ではないと私は今日しみじみと思ったんですけれども。今朝から、朝の御祈念が、このお湿りの音を聞かせて頂きながらもう、この事のお礼に今日の御祈念は終始いたしました。もう、お礼を申し上げとるともう限りが無い。と言う今朝の御理解のとおりです。ですが、私その時気が付かせて頂たんですけれども、あの、竹内先生から昨日、お湿りの事のお願いがあっておった。お湿りがという事の。いや、水の事のお願いがあってたんですね。
それも自然に関わる事なんです。それを今日今朝から、今只今お願いさして頂く時に、そのお礼のお届けがあっておった。もう今日は、だからこのお湿りの中にもうほんとに喜びと安心でお参りさして頂いたと言うことを言っておられるのをお礼を申し上げ。その時にね、もうその事を頂きました。大きな信心とはね、天下国家の事を願うとか祈るという事。そういう願いに立った信心という事だけじゃなくて、あの、その大きな事に対してのお礼を言う信心がね、やっぱそうだという事。
例えば最近は、合楽教会を中心に、合楽教会と共に助かる。合楽教会と共に発展しあう。いうので、皆さん、合楽教会大発展という特別の御祈念をなさりますね。今日も特別奉修委員の方達なんかは、まあそれだけと言うても良いくらいですね。ですから、そういうその願いをなさるのですから、あの、それがあの、序実にお広前に現われておる姿を見た時にね、これはもう心からその事に対するお礼を申します。
これは、私が親教会、北京から帰った当時に、もう月並祭から月並祭たんびに信者が増えて行くんですね。ずーっとお導きして回る。昔から信心をしておんなさったお家を回るんですよ。もう敗戦の直後ですから、もう神も仏もあるもんかっていう時代です。もう昔しよった人達が皆辞めてしまってるんです。それでもう、昔の、まあ今日は蜷川地区。今日は山本地区っていうふうに回るんですよ。月並祭から月並祭まで。そすと私にあげん言われとるもんじゃけん、たいしてでんお参りをしなさるわけです。
それで、月並祭がですね、やっぱり下駄を60足までぐらい数えるくらいまでおかげ頂きました。それを私が一番感じたのは、私が参った時分に、月並祭と言うてもですね。私と誰かが、とあちらの奥様と3人じゃった。お月並祭が。終戦直後。私どもが帰った時代は。それでもう、あの、お装束を付けてお祭りをなさいますけれども、お説教も、もう御結界からこうやってでした。だからもう、こげなんことでは、もうとにかく、せっかくねお説教台を出して、そして、お説教台の前からお話して頂くようにおかげ頂きたいと願いましてね。いわゆる神願を立てて。
それからずーっと、新しいご信者さんの所もですけれども、昔の古い信者さんの所を回る。それで一生懸命話をするのですから、それが全部月並祭に参ってこられる。やっぱり今日は15足。今日は20足。今度は30足。今度は50足、60足までも。という事は60のもんが参ったと言う事ですから。もうですからね、御祭り前に下駄を数えるのが楽しみでした。
いう事なんです。私はあの、信心とは。ね。ですから、教会大発展を願うのですから、そこに、今朝のご理解は、例えばお広前いっぱいお参りがあっとった、という時には、その事に対する心からの、発展を願ってるんですから。願っとるからお陰頂いとるんですから。このお礼に徹するようなね信心がまた必要じゃないでしょうか。大きな信心とは、大きな事を願うとかね、頼むとかという事が大きな信心だけではなくて、事に対して、その事に対して、ね、お礼を申し上げれるところは、ちっとおろそかになっておるんじゃないだろうか。私はその、今朝から、ほんとにただ、お湿りがあっておるという事を雨だれの音を聞きながらもうそれで一時間の御祈念が済んだんですから。ほんとに。もうその事のお礼だけで。ね。
だからそこに丁度、言うならば乾いた土地に水を撒くように、こう染み込んで行くというか。神様の心に入っていくものを実感するんです。ね。そういう神様との交流が、ね、おかげの一つのルートともなって現われてくるのがおかげなんですから。どんなに素晴らしい事を、どんなに天下国家の事を願ったところでです。お礼が行き届かなかったら私はだめだと今日はまた改めて感じさしてもろうたね。どうぞ。 (ゆきこ)